ひみつつうしんのカードダス自販機

90年代のカードダス、PPカード、バンプレストカード等を紹介するブログです。

ドラゴンボールを思い出す

昨日、鳥山明先生が亡くなったことを知り、悲しくて意識を閉じた。普通に過ごそうと思った。ドラゴンボールを読み返したり、カードダスを眺め直すのは止めておこうと思った。

しかし考えないようにしても、強烈に心動かされることで、昔のことを唐突に思い出すことがある。今日はこれを、鳥山先生が思い出させてくれたのだと思うことにする。時が経てばまた忘れてしまうかもしれないので、ブログに書き残して覚えておくようにする。

 

僕らの世代にとって、ドラゴンボールのない少年時代は考えられない。漫画、アニメはもちろん、筆箱や定規にはドラゴンボールが描いてあり、部屋の至る所にカードダスが散乱していて、友達と集まれば超武闘伝をプレイし、行くところ、目にするところ、あらゆる場所にドラゴンボールがあった。

そして友達付き合いの中、本気で後悔したり、ケンカしたことの多くがドラゴンボールに関係していたことを思い出した。

 

1つは小学校低学年のことだ。

登校班に、1つ上の先輩、アヅマ君がいた。彼が同年代の肩を殴り、体当たりする姿を見て、年下の自分は怯えざるを得なかった。アヅマくんは交友が広く、誰でも遊びに誘う。一方で同じ仲間とつるんでいる様子はなく、今思えば定着できる場所を見つけられずにいたのかもしれない。

ある日、そんなアヅマ君がうちに来た。そんなに話したこともないのに、たった一人で遊びに来た。アヅマ君は「良いもの見せてやる」と言い、ポケットからカードダスを出した。ドラゴンボールのスーパーバトルの221番だ。この頃、自分は従兄に触発されてカードダスの虜になっていた。同年代の中では多くカードダスを所有しており、アヅマくんはそれをどこかで聞いたのだろう。

この時の自分は、スーパーバトルをまだ知らなかった。集めていたのはSDガンダム外伝で、ドラゴンボールの本弾は知っていても買ったことがない。本弾さえ未知のまま、スーパーバトルのカードダスを見せられた瞬間だった。

「めくれるんだぜ」とアヅマ君は言った。221番とはWキラである。1枚目のキラをめくると、もう1枚キラが出てくるのだ。自分は物欲しそうな顔をしていたのだと思う。「俺もまだめくってないんだ。めくって良いよ」そんな感じのことを輝く目で言われた。「全部めくったら戻らなくなるから、半分までな」アヅマ君はそう言ってカードを渡してくれた。そしてめくった絵を見て、二人で興奮したのである。

ここまでは最高だった。怖いと思っていたアヅマ君は良いアニキだったのだ。ただ、彼はこんなことを言い出した。これからサッカーをするから一回帰るけど、また来るよと。そしてサッカーをしている間、ポケットに入れておくとぐちゃぐちゃになるから、カードをうちに置いておいてほしいと。「全部めくるなよ?元に戻らなくなるから」そう言ってアヅマ君はカードを起き、家を出ていった。

ここまで話せば、もうお分かりだろう。自分はこのカードを最後までめくってしまったのだ。ヘルマン・ヘッセの少年の日の思い出のようなものだ。幼い自分はめくりたい衝動に抗えなかった。めくった瞬間の、カード全体が見えた時の衝撃は半端ではなかった。そして興奮と同時に激しい後悔が襲ってきた。戻そうにも、どうしてもずれてしまう。初めの状態を復元することは到底出来そうになかった。

数時間後、アヅマ君が戻ってきた。アヅマ君はカードを見て「はがした?」と言った。自分は確か、何も言えずにいたと思う。彼は「怒らないから本当のことを言って」と言った。自分は何度か頷いて「ごめん、はがしちゃった。どうしても見たくて」と、こんな言い方をした気がする。ぶたれると思っていたからずっと下を向いていた。

アヅマ君は「何ではがすのかなぁ」と言った。小学4年生、怒ってもよい年齢だ。しかし彼は怒らなかった。「仕方ない」とまで言ってくれた。その後に何を言われたのかは覚えていないが、乱暴者の小学生が大切なものを勝手にされたのに、声を荒げず許したのだ。アヅマ君は立派なアニキだった。顔を上げずにいた自分には、その時の彼がどんな顔をしていたのかが分からない。自分の方と言えば、おそらく泣いていたんだと思う。慰められた記憶だけが漠然とある。しかし悲しすぎて、どう慰められたのか、どう謝ったのか、その先にした会話の内容は何一つ記憶に残っていない。幼い日の後悔の記憶である。

 

2つ目は、小学校高学年のことだ。小遣いの量も増え、数年積み重ねたキラカードコレクションはファイル1冊分になっていた。市販のアルバムに幾つかのキラを貼ったオリジナルのファイルを作り、気に入った順にカードを入れて、そろそろ2冊目を作ろうかという頃だった。

コレクションも3・4年と続けば、どのようにカードが出るのかも段々分かってくる。カードダス100は4セットに1枚キラが出るので、引きに行くなら400円は持っていかないと勿体ない。このことは仲間内でも常識化していた。

ある日、いつものように400円が貯まると、それを握りしめて駄菓子屋に向かった。ドラゴンボールの新弾、初の悟飯編カードダスが発売されていた。早速回すも300円まではキラが出ない。そして、仕方なく最後の100円を入れようとしたその時、「次、オレの番ね」と100円を入れられた。友人のH君である。次でキラ確定なのは横にいた彼も分かっていたはずで、分かった上で入れられたのだ。あまりに突然で防ぎようもなく、H君はそのままハンドルを回してカードを引いた。この、大人だったらどうでも良いことが逆鱗に触れ「お前それずるだろ!」とマジで大声を出してしまった。キラが引けなかったことではなく、コケにされたことに怒り狂ったのだ。

H君とは幼馴染で、ケンカしたことも少なくはない。超武闘伝で同キャラ対戦のコマンドが分かるまでは、お互いの持ちキャラが悟飯だったため、交代で悟飯を使う約束でいた。しかし盛り上がってくると、H君はキャラを変えずにずっと使い続けることがあった。それに怒った自分は投げ嵌めをして勝ち続け、H君がキレて泣く。こんな具合だ。ただ、ケンカと言っても彼がキレるまでは我を通し、泣き始めたら謝るような感じで、最後までケンカしきったことはない。自分は学校の先生からは感情表現が少ないと評されていたし、ケンカに発展する相手もH君以外にはいない。大人しい生徒だったのである。

ただ、この時ばかりは自分でも驚くほどキレてしまった。彼がカードを確かめる前に、その束を奪って100円を渡した。彼は彼で唐突なことに呆然としていた。「俺が引くはずだっただろ!」こんな感じの捨て台詞だったと思う。彼を置いて勢いよく駄菓子屋を走り去った。当然、H君は追いかけてきた。「ざっけんな!ずるだろ!」と彼は叫んだ。しかしH君は足が遅い。自分は余裕で差をつけて、走りながらカードの束を開けた。シンとキビトのキラだ。そこまで欲しいカードでもなかった。でかい泣き声が聞こえた。振り返るとH君はもう走るのをやめて「ふざけんな」と繰り返しながら大声で泣いていた。くそったれと思ったのが正直なところだ。高学年になって、物分かりも良くなっていた自分は、これだけは我慢できないと感じて行動に移しながらも、いざ彼が泣いている姿を目にしたら許さなければならないと思ってしまったのだ。「悪かったよ、ごめん。返すよ」こんな感じで彼の背中をさすった気がする。彼は泣きながら無言で家に帰った。自分はこの気持ちをどうすれば良いのか分からなかった。

家に帰ると、母が台所で夕食の準備をしていた。自分は、起きたことをそのままに告げた。300円回したら、次は必ずキラが出ること。必ずキラが出る場面を狙って100円を入れられたこと。あいつはずるいんだ、ずるいのに泣いて、許さないと自分がひどい奴みたいになっちゃった、それで許しちゃった自分も何か嫌な気がする。とにかく思うことをひたすら喋った。元々、親に泣き言を言うことが極端に少なかった自分は、言っているうちに恥ずかしくなり、きちんとカードを返したんなら偉いと言われた気もするが、早々に2階の部屋に駆け上がった。自分の部屋には、今まで集めた沢山のカードがある。そのカードを幾つか折り曲げた。カードが欲しかった訳じゃない。カードなんてと思いながら握りつぶした。ドラゴンボールのカードダスは、その怒りを全部受け止めてくれた。その日はもう布団にもぐって、しくしくと泣いた。泣いている自分の枕元にはくしゃくしゃに丸められたカードダスがあった。そのカードにごめんと念じながら夜まで泣いた。

 

この2つの記憶を、なんだか唐突に思い出した1日だった。どちらも強く心が動いた出来事だったので、鮮烈に浮かんできた。そんな強烈な記憶でも、大人になって忙しく過ごしていると記憶の隅にやってしまうものらしい。他にも忘れていたことが沢山あって、その多くを思い出した。

物静かだった子供の自分が、大声を出したり、ワクワクしたり、怒ったり泣いたりした、その数少ない出来事の多くがドラゴンボールに関係している。これは、明るくて、ふざけていて、突拍子もなくて、そんな鳥山先生が作り上げた世界が、小学生の世界とどこかリンクしているからに違いない。だってドラゴンボールの戦闘って、個人的な気持ちをぶつけ合ってケンカしているだろう。そこが他のバトル漫画と大きく違うところだ。小学生のケンカの超規模の大きいバージョン、それがドラゴンボールだと思う。だからドラゴンボールは、小学生にとってケンカのお手本なのだ。

ケンカ以外にも、どうやったら感情を表に出せるのか、怒れるのか、悲しめるのか、喜べるのか、ドラゴンボールを読むとそれが自然と伝わってくる。そして、成長の過程で感情の出し方が分からなくなる小学生が、実は一杯いることを自分は知っている。あの時、自分が大声で怒れたのは、きっと鳥山先生のおかげなんだ。

もしこの作品に出会えていなければ、怒りは相手を無視したり、陥れたり、そういうウジウジした感じで発現したっておかしくはなかった。面と向かって「舐めるなよ」って言える人間にならなかったかもしれない。

いまだに友達の作り方は、悟空がクリリンに接するそれだと思っているし、子供への叱り方は、亀仙人のじっちゃんが悟空たちに接するそれだと思っている。この作品にどれだけ人格形成を助けられたのか、生活の間近にあった作品だけに計り知れないものがある。

こうして子供の頃を思い出した今、訃報の悲しさは不思議と薄れている。感謝の心が、悲しみを上回るほどに大きい。それに自分にとっての先生は、ドラゴンボールの世界そのものだし、今ごろ輪っかをつけて天界から見下ろしているような気もする。大人の自分はそんなことはないと言っているけど、子供の自分はそう思っている。そして鳥山先生に関することは、子供の自分の方がきっと正しい。だから哀悼や冥福といった大人らしい言葉は使わずに、ありがとう先生、ドラゴンボールが大好きだとだけ伝えたい。

最後に、先生の素晴らしいイラストとカードダスを融合させた作品『ビジュアルアドベンチャー』を紹介してこの記事を締め括りたい。この先も鳥山先生の絵は多くの人々を魅了し、世界中を飛び回っていくだろう。